各人の行動が
より上級の存在によって規定される
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 この考え方は、ほどほどに高度な構造を持った社会の支配層に属する人間であれば、持っていなければおかしい意識のあり方ですよ。ところが、現在の日本人にはこれが欠けているんだと思うんです。
飯坂 現在だけではなくて、ずっと欠けていたよね。
運営者 まあ、そうですねぇ(笑)。
飯坂 社会の中の一部の人間だけがそういう意識を持って、「日本」という人格を身にまとって世界に出ていったわけですよ。
運営者 その日本という人格=天皇というふうにすれば、「八紘一宇」になっちゃうわけです。
飯坂 世界史の中で見れば、日本というのは「鉄腕アトム」のようなもので、異質だけど元気がよくて・・・。
運営者 だけど「その中核にあるものは何か」、ということを深く掘り下げていくと、そこには何もない。日本人のど真ん中は「無」なんです。
飯坂 「無」ですねぇ。
運営者 これって、丸山が言っているのは、お互いがお互いを規定している、信念や理念ではなくて、バランスによって成り立っているというありようであって、その全員が「自分は中心ではない、責任を持っていない」と思っているから、中が中空状態になっている。そういうふうな形でバランスを保っている社会なんです、きっと。
「近代日本が封建社会から受け継いだもっとも大きな遺産の一つ。自由な主体的意識が存在せず、各人が行動の制約を自らの良心の内にもたないで、より上級のものの存在によって規定されているため、独裁観念に代わって抑圧の移譲による精神的均衡の保持とでもいうべき現象が発生する。
上からの圧迫感を下への恣意の発揮によって順次に移譲していくことによって全体のバランスが維持されている体系」(『超国家主義の論理と心理』)
飯坂 それはありそうな話ですね。
運営者 この構造は、「権力の偏重」(これは福澤諭吉の言葉)をともなうわけです。つまりみんなが同様の権利を持つのでなく(つまり、人権すら否定される契機がある!)、上位の者が常に権力を持つという形。体育会的な有無を言わせぬ上下関係というのは、構造的なものなんですよ。