大切なのは「関係」、目的は存在しない
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 そうすると、今後日本人は、日本人というカテゴリーによって生きるべきなのか。そして明治、戦後に続く第3の成功を目指すべきなのか。
・・・どう考えればいいでしょうかね。
運営者 日本人というカテゴリーがどのように決められているかというと、日本人が日本人として凝集性を持っている限りは、日本人は存在するものですよ。
日本国とか、あるいはサッカーの時にガキどもが持っている日の丸というのはあまり意味がない。
飯坂 まあ日本の場合は、国土と、民族と、言語が非常に高い確率で一致している世界の中でもまれなケースだと思うんですけどね。
運営者 外側から見ると、社会を構成するための要件はすべて備えているけれど、昆虫の外骨格のようなもので、それを内側で支えている骨組みはないんです。
ゼロなんです。「無」なんです。
社会を支えるために必要な、芯の部分がすっぽり抜け落ちているということです。
今後、それをどこに求めることができますかね。「靖国」には求められないわけだし。
飯坂 でも、サッカーでは日本代表を応援してるじゃないですか。
運営者 それは、まさに外骨格の部分なんですよ。
丸山は、こんなふうに考えてるんじゃないですかねぇ・・・日本とは何なのかということなんですが、日独伊軍事同盟締結前の話の話でね、締結2ヶ月前にリッペントロップ外相が佐藤・来栖大使に述べたことだそうですが。
「自分はドイツが何を欲するやの点については明らかなる認識を有するも、日本の企図が奈辺にありやに関しては遺憾ながら明確なる知識を持ちかぬる次第にして、両国間の協力も・・・まず日本が果たして具体的に何を希望せらるるやを承知いたしたし」
飯坂 当然ですよね。
運営者 ところが日本側は、それを明らかにせずに「われわれはドイツと同盟を結びたいのだ」という関係性の承認しか求めていなかったということなんです。大切なのは「関係」なんです。目的や結果ではないということです。
そういう目的意識のない世界の中で、季節が巡るたびにますますみんな右傾化するし、ますますみんな独善的になって戦争に向かっていったわけですが、じゃあその中で当事者意識を持っていたかというと、これがまたちっとも責任意識を持たなくてもすんでいたらしいんですよ。