「日本精神」の社会意識は中空構造である
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 だいたい「国体=天皇制」だと解釈してますよね。
連合国の最終回答は、「最終的ノ日本国政府ノ形態ハポツダム宣言ニ従ヒ日本国国民ノ自由ニ表明スル意思ニヨリ決定セラルベキモノトス」ということで、これを外務省が勝手に「民主主義と天皇統治の国体とは何等矛盾し居らざることを暗黙に承認したるものと解せらる又仮令国体をも含むと解するも前記の如く国民の自由意思により決定せらるるものなれば事実問題として国体の変革を来すが如き処は絶対に之なし」と解釈して、「国体は護持された」と大宣伝したんです。
昭和10年に「国体明徴声明」を出して、「政府は国体とは何かを明らかにする必要がある」ということを公に認めておきながら、10年たってもそれがいったい何なのかということをだれも知らずに、しかもそれを守るために戦争に突入して300万人以上もの犠牲者を出したということだったんですね。
そういえば、昔歴史の授業で「国体」という言葉を習ったときに、すごく違和感を感じたんですよ。「国体」というのは国家のシステムなのか、国土なのか、天皇制なのか?
しかし、考えてみると、ポツダム宣言受諾に条件を付けて「国体」を守ったということが現在でも通念になっているということは、日本が戦前から変わっていないことの何よりの証拠ですよね。
要するに、「自分たちは日本人である」「だから日本精神で突入すれば必ず勝てる!」という外骨格はありながらも、その中身は何なのかということは認識できないし、また認識していなくても平気なんです。それが、日本人の社会意識の中空構造だと思うんです。
飯坂 天皇の詔勅によって終戦したんですよね。ということは、彼が「自分が責任を負う」と言ったということではないですか。
運営者 何だかわからないけれど、とりあえず誰よりも「国体」と関連性のあることが確かな昭和天皇がポツダム宣言の受諾をよしとしているんだから、それは受け容れなければならないんだなあ、ということでしょうね、国民の側としてみれば。
そこには、「自分たちの信念が敗北した」という明確な認識はないですねぇ。そもそも信念や理念がないわけですから。
飯坂 だけど開戦のときには、昭和天皇は御前会議の席では短歌を読むくらいのことしかしなかったわけですから、黙っていると話が前に進んでしまった。つまりその時点では、彼は国体ではなかったわけで、それが終戦の時には国体になれたわけですな。自分の意志で国体になったのかもしれない。
運営者 そうですねー。