日本はほんとうに開国したか?
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 日本人が日本人であるというのは、まさに循環論法なんだと思います。
日本人とは何かというと、日本に住んでいる、日本語をしゃべる、日本人の親から生まれた、このそれぞれは「日本」という特性を明示的に示すものではなくて、「日本人の親とは何か」と問われると、「そのまた日本人の親から生まれた」という話がつながっていくわけですから。
「日本語とは何か」というと、「日本人がしゃべっている言葉である」と。
「日本とは何か」というと、「日本人が住んでいるところである」と。
運営者 それをひっくり返していうと、それを、ディアスポラされている民族、民族と言っていいのかどうかわかりませんが、ユダヤ人というのはユダヤ教を信じている人たちであって人種は問わない。信条によって結び付いているという形態なわけですよね。
ところが、ヨーロッパやアメリカはどちらの形態に近いのかというと、日本人のような中空構造の自己認識をする連中よりは、自分たちの内側から自己規定していくという内骨格構造の人たち・・・ユダヤ人のほうに近いのではないでしょうか。
飯坂 そういう思考形態を持ってる人が多いですけれど。
運営者 例えばアメリカから、国旗と、国家と、憲法を取り去ってしまったら、あの国は崩壊すると思いますよ。
飯坂 そもそも国家がないんですよ、あの国は。ワールドなんだから。
運営者 それで、日本はどうなんですか。
飯坂 日本は、アウト・オヴ・ザ・ワールドですよ。中国人と同じですよ。中国人は中国以外のところはアウト・オヴ・ザ・ワールドですからね。
運営者 ええ、日本人がね、「普遍的な」とか「世界では」というと、必ず自分たち以外のことを指しますよね。自分自身は「世界」に含まれていないわけです。
「“世界”という概念は場所ではない。日本は世界の中にあるのだし、逆に言えば、世界は日本の中にあるのだという観念は日本では実に定着しにくい。これは世界文明に洗われないところはみんなそうです。
・・・これが僕が近年“開国”ということをうるさくいう意味で、“開国”ということの思想史的意味は、世界対日本でなく、日本の中に世界があり世界の中に日本があるということなのです。」(「普遍の意識の欠如」)