明治維新では、上から自由が降ってきた
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 それで明治維新は一体何だったのかというと、その朱子学の拘束のタガが外れて、単に人欲が解放されただけであったと彼は考えています。
飯坂 「ええじゃないか」になったということですね。
「思想史的に見た維新は、徳川時代にいわばなし崩し的に進行してきた『人欲』の解放過程を一挙に押し進めたという点にその意義と限界を持った。
『文明開化』のスローガンが維新後の社会を嵐のように吹きまくったとき、それは旧体制下に抑圧せられていた人間の感性的自然の手放しの氾濫となって現れたのである」(「日本における自由意識の形成と特質」)
運営者 そういう中で、明治天皇絶対制国家というのが確立されていくわけです。
もしも明治維新が、自分たちの主義主張によって起こされた民主的な革命であるならば、絶対制国家とは違う政治体制が打ち立てられたのかもしれませんが、そうはならずに天皇制によるあいも変わらぬ共同体的支配体制が形作られてしまったわけです。
やはりここで思い出すべきなのは、「五箇条御誓文」です。これは、はっきりと民主的な国家をつくるべきであるということ天皇自身が認めた文書だったと思うんです。
一、広ク会議ヲ興シ、万機公論ニ決スベシ
一、上下心ヲ一ニシテ、盛ニ経綸ヲ行フベシ
一、官武一途庶民ニ至ルマデ各其志ヲ遂ゲ、人心ヲシテ倦マザラシメンコトヲ要ス
一、旧来ノ陋習ヲ破リ、天地ノ公道ニ基クベシ
一、知識ヲ世界ニ求メ、大ニ皇基ヲ振起スベシ
明治維新が成った時には、そうした理念が政権の一部 にあったことは事実なんです。五箇条御誓文は船中八策が下敷きになっているといわれますが。
つまり、日本人が持っている「自由観」というのは、上から与えられる「状態」でしかなかったわけです。
明治維新のときも、上から自由が降ってきたんです!
飯坂 それ以前の支配階級だったは士族階級は、西南戦争で敗れ去ったし、士族が原動力になった自由民権運動も敗れたし。
このへんの話は、過去に掲載したこのあたりの話とも連動しています。
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