個々人の利益を尊重すれば
こんなことにはならなかったのでは
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 どうすればそのような家族的な国家観を否定することができると思われますか。
飯坂 それは、家族の外に出ることでしょうね。
運営者 家族の外へ出るということは、「自分が一個の独立した存在であって、家族とは別の人間なんだ。1人の権利と尊厳を持った独立した人間なんだ」と主張するということですよね。
それをやるか、やらないかの問題ですよ。
それは家族だけではなくて、会社かもしれないし、コミュニティーかもしれないし、国かもしれないわけです。各人がそのような個人主義的な発想に基づいて、個人個人を大切にしてお互いの利益が得られるように社会を構成していけば、現在の日本経済が陥っているような、悲劇の一歩手前という状態にはならないはずですよね。
飯坂 そうですね。
運営者 しかし残念なことに明治以降のわが国の経済社会は、そのような社会構成になっていなかった。
明治維新以降は、より効率的に共同体的な支配形態を社会の中に押し広げるために、天皇を中心にして国家ぐるみでまい進していたということなんです。
飯坂 あるいは明治国家は、デカルト流の個人主義に対するアンチテーゼを提示したという言い方も出来るかもしれませんね。それによって近代化を推進したということです、日本は。
運営者 デカルト流の個人主義の成果として西洋が開発した近代民主主義の仕組みを、わが国には「中空構造」があることをいいことにしてそのまんま輸入したんですよ。
やっぱり日本社会を支えているのは外骨格の中空構造であって、その中空構造、すなわち共同体的な集団無責任体制、責任なすり合い型の、全く自己決定性のないあり方というのは、現代に至るまで全く変わっていないと思います。
飯坂 まったくヤドカリのようなもので、国家とか、法律とか、学問とか、そういったものを古い殻を脱ぎ捨てて、新しい殻を身にまとい続けることによって生きてきたんでしょうね。
運営者 だから丸山は、日本においては自由というのは根本的に存在していなかったし、現在もしていないだろうということを強調していると思います。