市場を頑なに否定する「一如」の精神
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 この日本の中空型統治システムは、恐ろしく洗練されたものなんです。ひょっとしたら日本人は、人類史上最も洗練された、安定的な統治システムを1000年以上前に作り上げたのかもしれません。賢いと言えば、賢いですよ。
飯坂 中空社会をみんなで支えているんだとしたら、一挙にひっくり返すしかないですね。個別撃破を試みようとしても、敵が10人から9人、8人に減っていった時点で、自動的に補充されてしまうでしょう。
運営者 それどころか、こっちが包囲せん滅されてしまうかもしれませんよ。
だから10人の敵を一挙にせん滅するためにはどうすればいいかというと、そこに 「市場主義」という違う論理を持って来る必要があるんだと思います。
飯坂 ええっ! 市場主義というのは当たり前のことであって・・・。
運営者 当たり前ではないですよ、日本では。
この国では、市場主義なんて言ったら、「ハア、あなた新しいもの好きですね」って言われますよ、いまだに。
すくなくとも金融界にも出版界にもない考え方ですね。
まったくこのタコツボ社会は、自分のタコツボだけを守っていれば、それで満足できる人達の集まりですからね。それではライバルに負けるって言うんですよ。
タコツボから出ようと思ったら、実は人材にしても、資本にしても、その外の資源にしても、市場で調達するのが最も効率的なんです。だからタコツボから出るためにはどうしても市場が必要なんです。
この国の人たちは市場を拒否しています。それが意味していることは、「不効率であっても構わない。経済が破たんしても致し方ない。それよりも自分がタコツボの中でぬくぬくとしていられることの方が大切なんだ」という旧日本人の本音です。
タコツボ同士をつなぐ普遍的な価値があれば、仕切られずにすむんですけどね。
個人がいろいろな組織に属していて、おのおのの組織の目的も違っていたらよいのですが、過去の日本では宗教=国家=社会=会社が一致していて、国家そのものが文句のつけようのない倫理的主体であり価値観だった。何でも吸収して「一如」にしちゃうんです。
その中に個人も埋没していたので、普遍的価値認識ができなかったんです(「普遍的な」とか「世界では」というと、必ず自分たち以外のことを指しますよね。旧日本人にとっては、自分は「世界」に含まれていないわけです!)。