「君、君たらずとも臣、臣たらざるべからず」
のナンセンス
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 これ(「丸山真男氏を囲んで」)は座談会なのですが、この時に中島という東大生が参加していて、コイツは大蔵省に入って接待疑惑でお縄になった奴なんですけどね。
飯坂 情けない。
運営者 あと、丸山は「権威信仰」について指摘しています。
やたら「長いものには巻かれろ」志向の人っているじゃないですか。
「いやー、岡本さん。そんな原理的なこと言ったって、日本はそういうふうにできていないんですから上の人にはかないませんよ」と、初めからあきらめているくせに、「自分は大人だ」と威張っている人ですよ。アレをどう考えればよいのか。
まず「権威とは何か」なんですけど、
「権力というものはそれ自身が目的ではなくあくまでも他の目的のための手段である。ところがこのことが忘れられ、権力の手段性が意識されないでそれ自身が目的になってしまい、権力を行使する方もされる方も権力それ自身に価値があるように考える傾向が生まれる。ここから権威信仰が発生する」(『日本人の政治意識』)
で、中国は有徳主義ですから、君主でも徳がなくなればやっつけちゃってもいいわけですが、日本では下位の者が上の者に取って代わるようなことをしてはいけないらしいんです。
「日本の場合には、君、君たらずとも臣、臣たらざるべからず」というのが臣下の道であった。そこには客観的価値の独立性がなかった。人間の上下関係を規定するところの規範が、客観的な、従って誰でも援用できる価値となっていない。
・・・上位者そのものには道理という規範が適用されないのである。恩恵を垂れるということはあっても、これを下から要求することはできない。というのは、仁・徳が権威者と合一しているから、権威者の思し召し如何ということのみによっているからである。」((『日本人の政治意識』)
これはさっきの中空構造で、「各人が行動の制約を自らの良心の内にもたないで、より上級のものの存在によって規定されている」からですよね。だから「上級のもの」に疑問を感じてはならないんです。
自分の信念がなくて、ただなんとなく動いているだけなのに、上に従っているというだけで、本人はものすごい正統意識を持つことができるし、なんの問題意識も持たずにすむ。面倒から解放されるというありがたいシステムです。