私達は無力だろうか
インタビュアー 飯坂彰啓
「政治行動という物の考え方を、・・・私たちのごく平凡な毎日毎日の仕事のなかにほんの一部であっても持続的に座を占める仕事として、ごく平凡な小さな社会的義務の履行の一部として考える習慣---それが・・・デモクラシーの本当の基礎です」
「デモクラシーというものは一つのパラドックスをふくんでいる。つまり、本来政治を職業としない、また政治を目的としない人間の政治活動によってこそデモクラシーは常に活き活きとした生命を与えられる」
「人民が『何時たりとも』そういう行動をとるということは、突然できることではなく、人民が日々に、寸暇を割いても、自分たちの代表者の行動を監視しているという前提があってはじめてできることだ。毎日毎日をとってみれば、きわめて小さな関心と行動が実は大きな制度の生命を動かしている」(『思想と政治』)
でも旧日本人はそうはしません。お上にたてつくなど、恐れ多いことだと思っているからです。そして、黙って破局が迫り来るのを、「少なくとも自分には責任はない」と思いつつ、震えながら待っているのです。
「人間というものは一人一人全部違うものだという前提から出発すれば、本来違ったものをどこで、どの点で一致させて共同の行動を起こさせるかということで政治的技術が必要となる。
・・・本来一致するものだという前提から出発すると、はじめから気のあったもの同志集まってしまい、異質の人に働きかける力を伴わない。つまり、仲良しクラブになってしまう。そこから派閥も生まれる。
・・・政治行動というのは本来、例えば神を信ずるものも信じないものも、安保に反対なら一致して反対するというように、具体的な問題で一致する限りその人と一緒に行動するということなのです。・・・何でもかんでもこの人とやっていこうとするのは完全に派閥です。つまり簡単にいえば、部落共同体ということです。」(「私達は無力だろうか」)
そういうわけで、たれあろう、自分たち自身が作り上げた権威と既成事実に屈服しつつ、旧日本人はタコツボ社会でなんとか生きているわけです。
日本の社会はホントにタコツボ社会ですよ。タコツボだから、市場を認めることができないんです。タコツボの中で資源が循環していれば、市場を求める必要がないわけです。
また、タコツボの構成員も、狭いタコツボの社会の中のマップだけを頭にたたき込んでおけば、「だれに何を頼めば何とかなる」ということがわかっているわけですから、何事もやりやすいですよね。
5つの大企業集団の中で、キーパーソンも決まっていて、その中だけで資源が循環していたわけですから、自由市場などというものを持ち込む必要を感じずに済んだんですよ。
だから今、危機を脱するためにやるべきことは何なのかというと、やっぱり個人が自立することと、それと同時に市場主義をより徹底していくということに尽きると思いますよ。
大切なのは意識の問題です。対処療法の経済政策をやるよりも、人の意識を変える方が、経済全体を底上げする効果が大きいと思うんです。出口はそこにしかない。それは、たいへんなようでいてたいへんでない。むつかしいように見えてむつかしくないことだと思います。やるしかないんです。この正念場で自立できないと、われわれにのこるのは巨大な中空構造、・・・がらんどうになった日本の外骨格だけだと思いますけどね。