市場原理主義は教育の格差までをも拡げている 藤原正彦先生論文「国家の堕落」を読む
読書仲間 飯坂彰啓
運営者 次に、「経済以外への副作用の大きいことが市場原理の一大特徴である」と書かれています。
副作用とはどういうことか。「市場原理の導入徹底は経済上の格差を拡げたばかりでなく、生命の格差を拡げ、教育の格差までをも拡げているということである」と鋭く指摘されています。生命の格差ってなんですかね?
飯坂 自殺のことでしょうか? 経済格差が教育格差を広げているということはわかるけど、市場原理が教育格差に結びつくのかな?
運営者 何だかよくわかりませんが、さすが藤原先生ともなれば、このような意表をつく表現で次を読み進む期待をさせてくれますね(笑)。
藤原先生のおっしゃっておられることの意味をそんなに早急に判断してはいけませんよ。きっとこの後に書いてありますよ。
飯坂 だって、経済格差がさまざまな副作用を生んで格差が広がって困るのであれば、「たかが経済」じゃないんじゃないですか(笑)。
運営者 しまった! なんてこと言うんですか。藤原先生の論が崩れていく・・・。
そんなことにはおかまいなく藤原先生は続いて「さらに市場原理は、激しい競争社会というより生き馬の目を抜くような社会を現出させた。穏やかな心で生きていくことの難しい社会となった」と書かれています。
もし今までの日本が穏やかな心で生きていける社会であったのだとすれば、これはまさに地上の楽園ですよ。有史以来ほとんどあり得なかったことだといってよいでしょう。
飯坂 実際今までの日本は、そこまで競争を意識しなくても生きていける社会だったと思うけど、それは市場原理を徹底したところでそんなに変わらないんじゃないかなぁ。
運営者 人によって違うと思うけど、僕はおおかたの人の意識は変わると思いますよ。
それ以前に、そうした穏やかな心で生きていける社会というのは、言ってみれば「まほろば」ですよ。まほろば国家。こんなものがこの地球の上に出現するということはものすごく確率が低い状態であった。しかもその均衡がある程度続いたということはね。
飯坂 そうか、アメリカの軍事力に守られて、アメリカの市場をフリーライドすることが許された期間における、世界史的に稀なことだったんですね。
運営者 しかも質のそろった優秀な労働力が安くて、なおかつ大衆消費社会が到来することで企業も成長できた状態が続いたわけですから。
飯坂 社会のコストが安いだけでなくて、トレードのコストも安かったんですよ。「相手を信用できないから保険をかけなければならない」といったクレジットリスクが、他の国に比べれば劇的に少なかったですから。
運営者 企業間取引ではそうだったし、それに適した産業構造をメインバンク制の下で作り上げることにも成功したわけです。
飯坂 メインバンクの上には大蔵省がいるわけで、国内のすべての活動には所管官庁が決まっていたわけです。
運営者 所管官庁のない出版業みたいな業種は、化外の民というか、アウトサイダーだったんです。
飯坂 それは戦前の内務省が解体されたときに検閲が廃止されて、そのまんまになっているからなんじゃないですか。
運営者 国柄を守り、穏やかな心で生きる社会を作るためには、検閲を復活したり、ネットやら2ちゃんねるやらを規制したいと考えている人は少なからずいるでしょうね。