穏やかな心で生きていくことの難しい社会となった 藤原正彦先生論文「国家の堕落」を読む
読書仲間 飯坂彰啓
運営者 話を元に戻すと、日本が今まで静かに穏やかに暮らせる国であったということを「常態だ」と考えるほうがおかしいと僕は思うんです。だって生きるってそんなに簡単なことじゃないし、ボーッとしていて生きていけるほうがおかしいんだから。
日本ではぼけ老人が増えているでしょう。もしも生命の危機に日々さらされていたら、人間はボケる暇なんかないんですよ。
飯坂 生き残れない人は死んじゃうでしょうし、生き延びる人もかつかつで生きるでしょうからね。
運営者 医療も高度化して、国民医療費の増加がみんなの負担になっている。
だからむしろ、「穏やかな心で生きていける社会でなければならない」というふうに考えるとなにが必要になってくるかというと、それを維持するためのコスト、それはクレジットリスクのコストも含めてですよ、これを出し続けられるかどうかということになるわけです。
ところが現代の日本では、すさまじい高コスト社会化が進んでいますよね。昔だったら、役所だって田舎は木造だったですよ。それが巨大ビルになり、たいして使いもしない箱モノを作り、維持費をかけていれば、自治コストは高くなりますよ。民間にしても、安全や品質維持にかけるコストがどんどん上がっている。円の通貨価値も高いですしね。そういう状態で、みんなが「穏やかに暮らせる社会」を以前のように維持できますかね。コストの重みにつぶされますよ。それが、日本社会の質的な変質なんです。もう以前の牧歌的な社会に戻るのは、それこそ鎖国して生活水準を大幅に落とさないとムリなんですよ。
ソニーがいつからだめになったかというと、品川のばかでかいビルに移ってからですよ。ああいう高規格のオフィスビルの場合、一階がすべて吹き抜けになっていて、そういうオフィスに入っている社員は、そのロケーション・コストも払わなきゃいけないわけじゃないですか。
飯坂 品格を保つためにはああいうオフィスに入らなければならないんですよ。
運営者 でもああいうオフィスに品格があるように見えないもん。今は超高層のタワーマンションが人気になっていますが、タワーマンションは意外と固定資産税が高いんですよ。どうしてかというと高規格オフィスビルと同じで、共有部分の税金も按分して払わなければならないからです。
品格ということで言うとヨーロッパの町の建物や、あるいはニューヨークのアール・デコ時代のピルとか、グランドセントラルとかは、品格のあるデザインの建物だと思うんですけど、それって何年前から建ってますかってことですよ。80年前から建ってるんです。日本みたいに作っては壊すという非効率なことはやりません。やっても期間が違いますよ。丸の内って、もう何世代目のビルになってますかね。
ウイーンの楽友協会の建物を着工したのは、明治維新の年ですよ。それから、ロンドンにロイヤル・アルバート・ホールという大きなホールがあるでしょう、大相撲が海外公演で使うような。あれってアルバート公が死んだときに建てられたわけだから、ビクトリア時代ですよ。アルバート公が死んで顕彰碑を建てることになったんです。それで全国から募金を募って、顕彰碑を建ててもさらに募金が余ったんです。その余った金で8000人収容の大ホールを建てて、それを20世紀いっぱい使って、まだ使っているわけです。行ってみたら、「来世紀に向けてのリニューアル工事中」とか書いてあるわけです。「一体いつまで使うんだ」と。だけどそれは使えるんですよ。