市場原理の行き着く末は、戦いとストレスの世界である 藤原正彦先生論文「国家の堕落」を読む
読書仲間 飯坂彰啓
運営者 ローマだったら、マルケルス劇場というのがあります。これは紀元1世紀に建てられたものですが、いまだに上部がマンションになっていて人が住んでますよ。
振り返って東京を見てみると、東京都庁って何度建て直しされてますか?
飯坂 だけど、80年前に、100年も続くような建物を建てる余裕は日本になかったわけだし。
運営者 そう。19世紀後半、ビクトリア時代のイギリスの経済力と技術力はそれだけすごかったんです。わたしは近くまで行ってみたんだけど、エジンバラにフォース・ブリッジという「鋼鉄の恐竜」というあだ名の長さ1822メートルの巨大な橋がありますが、あれなんかすごいですよ。その40年後に完成した勝鬨橋くらいで喜んでちゃ笑われますよ。
つまり逆に言うと、100年前にイギリスやアメリカの社会が機能していたのは、市場原理主義社会であったからなのであれば、日本がそうしたコストを払って建物だけでなく社会全体を維持していくためには、いまわれわれが持っている「日本は穏やかに暮らせる社会」というパラダイムを変えるべきなのではないかと思うんです。
飯坂 まあ、そういうことになるでしょうね。
運営者 給料だってね、昔は安かった。今は高い。これ、何と較べてかと言ったら、世界の他の国に比べて高いということでしょう。
世界全体で見たら、労働力は中国にあり、ロシアにあり、東南アジアにあるわけです。日本の労働者はこれらの安い労働力と競争できるだけの生産性を持っているのかと考えざるを得なくなるじゃないですか。
そういう考え方は、藤原先生は嫌な世界かもしれないけれど、「たかが経済」の世界では、どうやらそれを無視しながらは生きていけないんじゃないのかなという感じがするわけです。
競争に負けたらどうなるか、タイの東北部とかフィリピン南部のNPAがいるような地域に見に行けば、藤原先生のお考えも変わるのではないかと思いますけどね。日本人が「品格」を口にしていられるのは、競争に勝っているからですよ。自由経済の世界では、国際間の市場競争に負ければ工場が潰れて仕事がなくなり、残るのは脱出不可能な底なしの貧困です。日本車が世界中で売れてるから、藤原先生は太平楽を並べていられるんですよ。
しかもそういう貧困地域でも、日本製品にひたすらあこがれていたり、ハリウッド映画の海賊版を喜んで見ていたりしますからね。それは競争に勝つ製品は、人間性の真実に訴えているからですよ。競争の否定は大衆に受け入れられやすい甘言ですが、なにか本質的なことをお忘れではないでしょうかね。
飯坂 だけどまあ、そういうことはたぶん先生のご専門ではないから。
運営者 そうかもしれませんね。あるいは藤原先生は次にこう書いています。
「市場原理の行き着く末には、アメリカのような、弁護士数が人口あたり日本の20倍、精神カウンセラーが同じく60倍という世界が待っている。戦いとストレスの世界である。効率のよい世界かもしれぬが、もはや平穏な心で微笑んでいられるようなところではなくなる。日本ではなくなる」
私だってそう思いますよ。だけど地球が小さくなってしまった今では、鎖国しない限りは市場原理からは逃れられないですよ。藤原先生がおっしゃってるのは、ジャンボジェット機やインターネットのなかった時代の認識です。
飯坂 日本でなくなると。そうするとこの先日本はアメリカの一部になっちゃうのかな。あるいは中国の一部になるのかなあ。
運営者 どちらにしても今より格差社会になるのは間違いないでしょう。だけどわれわれは以前こういう認識についても話しあってるんですよ。
いずれにせよ、戦いとストレスのない社会があり得るのかというのは、藤原先生がわれわれに突きつけた非常に大きな命題だと受け取っておいて、次に進みましょう。答えはすでに出てると思うけど。