省庁は、決定機関というより単なる実施機関となり果てた 藤原正彦先生論文「国家の堕落」を読む
読書仲間 飯坂彰啓
運営者 次は「日本改造を行った一握りの人たち」と見出しがついていますが、小泉改革を行った人たちの品格を問うている章です。
まず、「重要な事柄の多くが、当該省庁ではなく内閣府で決定されるようになった」。特にその中でも、「ここ数年の改革の一大発信地ともいうべきは、内閣府における経済財政諮問会議と規制改革、民間開放推進会議の2つであった」と。そして、「今や省庁は、決定機関というより単なる実施機関となり果てている」と鋭く指摘されております。
飯坂 だって、立法機関はもともと国会で、行政機関はそれを執行する機関じゃなかったの?
運営者 おお、そうだったんですか! そんなことも学校で習ったような気がしますね。ひょっとして藤原先生がお持ちの「官僚が国策を決定すべし」というのは、根本的にまちがったご認識なのかもしれませんねえ。
でもって、本来は国会が、国にとって重要な決定とか、国の方向づけといったことを決める機関なんでしょうか?(笑)。
飯坂 法律を決めるところですからね。そういうのが反映されてないと法律はつくれませんからねぇ。
運営者 ということは、国会議員というのは情報に基づいてそういう判断や決定が下せる人たちでなければならないわけですよね。だけどプロレスラーやらタレントやらがやってるんですけど。
飯坂 まあおそらく藤原先生は、そういうことも大所高所から分かっておられるはずでしょう。
運営者 でもこの論文の中には、国会という言葉は1カ所も出てこないんですけど。先生がおっしゃっているのはむしろ、内閣がやるよりも各省庁が決定を行った方がよいということだと、この文章からは読めるんですけれど。
まあ、こういうお上頼みの考え方をしている人が多いから、役所はあれだけ横暴をやっていても平気なんでしょうね。「国民の信は政治家よりこちらにある」と。
飯坂 なんだかわかりませんが(笑)、まあいいでしょう。先に行ってください。
運営者 さらにその2つの機関の問題として、「しかも中心メンバーはなぜか、固定されている」として経済人とエコノミストの実名が列挙されています。本間正明先生の名前がここで出ていますが、この当時はまだ例の東郷台住宅に愛人をかくまっていたという件が明るみに出ていませんでした。もしもわかっていらっしゃったら、また別に一章を立てて論じられていたのではないかと残念に思えてなりません。
そしてこの2委員会は「市場原理に反対する人は委員になれない。規制改革会議の中の教育・研究ワーキンググループでは、現実に2004年、委員内定をもらいながら、会議の意向と違う発言をしたため、委員内定を取り消された人がいる」と暴露しています。まったく憤懣に耐えませんね。
飯坂 はー。
運営者 誰なのかなって思いますよね。前のページで、中心人物の実名は出しているのだから、なれなかった人の名前も出せばいいと思うんですが、おそらく藤原先生はそれは品格に欠けると思っていらっしゃるのでしょう。
言ってみれば、「メディアですべてを明らかにするなどというのはよくないことだ」と思っているタイプの人っていますよね。陰影礼讃というか。そういう人が思っているのは、「世の中にはジャーナリストなどというけしからん人種がいるようだが」・・・。
飯坂 いやー、そこまでは書いてないと思うけど。
運営者 す、すみません。思わず先生のお気持ちを忖度して、出過ぎたことを言ってしまいました。平にご容赦ください。