不合理、非効率でも穏やかな心で暮らしたい人も多い 藤原正彦先生論文「国家の堕落」を読む
読書仲間 飯坂彰啓
運営者 そして続いて、「卑しくも国家改造に手をつけるのなら」「日本の叡智を結集しなければならないだろう。文明史的、文化史的な考察や洞察、そして深い祖国愛が必要となるからである」と書かれています。
これはひょっとして、安倍ちゃんがこの文章を読んで、「先生、日本の叡智を結集してください」と頼まれるのを期待してるのかなぁ。
飯坂 自分を委員に入れろってこと?
運営者 先生ご自身が入るのは当然ですよ! 藤原先生は日本の叡智をたくさんご存じだと思うんですね。野に遺賢なし。「国柄を守るためにそれを集めてくれ」と官邸から頼まれるんです。なんて素晴らしい先生がいるんだ、日本の未来は明るいですよ。
飯坂 んーーー
運営者 もしもし、大丈夫ですか?
次に先生は実業家、エコノミストについて「中には立派な方も無論いようが、日本の叡智を結集したようにはとても思えない。そう感ずるのは私だけであろうか」と読者の賛同を求めていらっしゃいます。
聞かれてるので答えなきゃいけないんですけど、僕はそうは感じませんけどね。十分なメンツだったと思いますよ。
どうやら、実業家とエコノミストだけで物事を進めるのはけしからんというのが藤原先生のご意見のようですね。役所にも外部監査を入れようというご時世なのに。突き詰めれば、「役人と市場とどちらを信用するんだ」という話だと思うんですけどね。そりや、市場だろう。
それで先生は次に、市場原理主義と共産主義を返す刀でなで切りにします。
市場原理至上主義は、共産主義にも似て、単なる経済上の教義ではなく、経済の枠を超え、あらゆる面に影響を及ぼすイデオロギーである。一言で言うと、人間の情緒とか幸福より、効率を至上とする主義である。論理と合理を最重視するという点で、論理合理至上主義といってもよい
情緒や幸福よりも、全体の効率を重視するのは、確かに共産主義と似てるかもしれませんね。でも藤原先生は、エコノミストや実業家は、人間の情緒や幸福をまったく考えないとお思いなのでしょうか。
飯坂 論理合理至上主義って何だろう? こういう言葉は見たことがないけど。
運営者 さあ、ロゴス中心主義みたいなことかなぁ。論理と合理を最重視しているという新しい合成語ですね。
飯坂 いやあ、論理には当然、適も否もあるわけで、「合理だけが存在する論理」というのはあり得ないでしょう。
運営者 論理的に言うとそうですよね。しかしどうやら先生はこの2つを・・・この先生、ホントに大丈夫なのかなぁ(爆)。さすがの私もフォローが難しくなってきたぞ。
さらに続けて藤原先生は、「人間にはたとえ不合理、非効率でも穏やかな心で暮らしていたいと考える人も多い」と書いておられます。まったくですよ。穏やかな心ですよ。
なかなか含蓄のある表現ですよ、論理の世界に住んでいる学者なのに、不合理でも非効率でもいい、穏やかな心で暮らしたいとはなかなか書けないですよ。かなり勇気がありますよ。
飯坂 そうかなあ、不合理で非効率に生きているのは博打打ちのような人であって、そういう人たちはみんな刹那的に生きてるような気がしますけどね。穏やかさなんかを求めているのかなぁ。まあいいでしょう(笑)。
運営者 そういう意味なのかなぁ(笑)。