学校バウチャーはお金のある家庭に有利な制度 藤原正彦先生論文「国家の堕落」を読む
読書仲間 飯坂彰啓
運営者 僕は私学の出身だし、大学で勉強を教えてもらったという意識があまりないので、大学に対しての期待というのは全然ないんですよ。僕が出た学校はほぼ教育機関じゃなかった。レジャーランドと言うよりは放し飼いの動物園だったな。
飯坂 何かを教えてもらうというよりは、基本が自分で勉強するんだけど、その勉強したことをお互いが交換しあってフィードバックして軌道修正していくという機能の方が大学では大きいと思いますよ。
運営者 確かに。下宿や高田馬場の飲み屋で友達と議論していた方が、よほど勉強になったなあ。
文系の場合は、今「四つ文字学部」というのが増えているわけです。総合政策学部とか、国際情報学部とか。
それはどういうことかというと、今まで学問が縦割りすぎたので、それではいかんということで学際的な学部にしてしまって、学生から見てみれば幕の内弁当みたいに何でもかんでも勉強する講座があるわけです。カフェテリアですよ。それで授業を選ぶんだけど、結局バラバラのことを勉強しているから、ある認識をつくるためには自分の中で習った内容を統合する努力をしなければ、体系的な認識はできないわけです。
飯坂 学際的なことをやるためにはベースがあった方がいいよね。ある学問を系統的に勉強して、そこから学際領域に出ていくべきだと思うけど。欧米の大学のダブルメジャーっていうのは、日本の「四つ文字学部」と違ってごちゃまぜじゃなくて、共通部分以外はそれぞれカリキュラムが組んであるはずだよ。
少子化をにらんで学生を確保したいのと、学部再編に際しての縄張り争いから、意味のはっきりしない学部名がたくさんできたんだろうね。
運営者 ここまでたくさん「四つ文字学部」ができてきて、いまやっと気がついたみたいなんですけどね。結局どうなっているかというと、高級カルチャースクールになっているらしいんですよ。
そりゃカルチャースクールだったら幕の内弁当でもいいかもしれないけど、一応大学なんだから、4年間で何らかの認識を形作ってもらなきゃ困るわけじゃないですか。それって言うのは学生個人のやる気の問題で、向学心や探求心があれば、できるわけですよ。自分の頭の中で得た情報を組み立てるだけですから。
カルチャーセンターに通ってたって、やろうと思えば自分で勉強することによってできるかもしれない。
飯坂 一通りその学問領域のロードマップをかいつまんで説明してくれて、それを自分で勉強をしたいと思ったら、直接教官と議論したり参考文献を聞いて勉強すればいいわけじゃないですか。それで十分なんじゃないの?
運営者 だけど藤原先生は、そういうんじゃいかんと思っておられるんじゃないんですか、多分。それでは高等教育は無法地帯になってしまうらしいですよ。
それからバウチャー制度についてもかみついています。バウチャー制度を取り入れるとどうなるかというと、「学校選択するために、親は情報を得なければならない」から大変な手間がかかるし、お金のある家庭に有利な制度だろうということです。そのためイギリスの例を引いて、学校の序列が固定してしまったと書いています。
今までの学校制度がよかったのであれば、そうした学校で学力低下やいじめが頻発しているというのはいかがなことか。
飯坂 いじめについては、犯罪行為をいじめという名目で免罪してしまっているわけじゃないですか。
犯罪行為は犯罪行為として断罪する仕組みは必要でしょう。
運営者 犯罪行為が生徒の間で野放しにされているということは、その子らが大人になった時に同じようなことが社会で起こるでしょう。給食費の不払いもおんなじですよ。「払わなくても払っても同じように給食が食べられるのであれば、払う必要がないじゃないか、じゃあフリーライダーになるほうが得だ」ということを学習させるために学校に行かせているのかということです。