「お金より大事なものがいくつもある」のが日本の国柄 藤原正彦先生論文「国家の堕落」を読む
読書仲間 飯坂彰啓
運営者 続けて先生は、「だからこそ国民の間に漂う閉塞感はいつまでたっても一向に晴れない」。この「だからこそ」という順接のつながりはよくわからないんですけれど。経済人が何か言っているから、国民意識の閉塞感がいっこうに晴れないのだそうですわ・・・。
その理屈はどういうことかというと、旧日本人がよく言っていた決めぜりふなのですが、経済人が振り回しているのが「お金より大事なものがいくつもある、という独特の国柄に真っ向から挑戦し、日本を食い散らさんとする、恥ずべき経済至上主義といって良い」からなんだそうです。
今まで見てきた中で、国柄とは何かについて直接触れられている所は3カ所くらいしかないんですけれど、「このお金より大事なものがある」というのも国柄なんでしょうね。
「経済人やエコノミストがこれほどまでに増長したことは、日本近代になって初めてのことである。不可思議な現象である」と、彼はこの論文を締め括っています。
飯坂 昔は発言する経済人はいなかったんですかね。
運営者 そんなことはないですよ。戦前の小林一三なんか大言論人です。だけど、もしそうであったとするならば、つまり現代は、エコノミストや経済人が公益のために発言をするようになった時代だということなんだと思いますよ。
というか霞ヶ関が時代に対応できなくなって没落し、このピンチをしのぐ知恵を取り入れようと思ったときに、それは効率や市場性を知っている経済人に知恵を求めざるを得なくなったというのが本当のところではないでしょうか。役人はカネを使うのは得意でも、カネの稼ぎ方を知りませんからね。予算を削るのが仕事になった今では途方に暮れてますよ。だったら経済人こそが「日本の叡智」なんじゃないですか、「至芸」とは言いませんが。
経済同友会は、昔から政策提言を行う独立した個々の経済人の集まりだったと思います。これに対して経団連は産業統制政策の名残を引き継いだ業界団体という性格が強かったと思うのですが、その2つの団体が規制改革や教育といった問題に対してほぼ似通った提言をするようになったということが、時代の変化をよく表していることだと思いますよ。
この2者の提言が一致しているということは、少なくとも日本経済の現状に関しては妥当なことを言っている証拠だと僕は思いますけどね。同友会と経団連の主張が大きく食い違っていれば、それは政治的な立場の違いだと言えると思いますが、両者の主張が似通っていて、しかも市場原理主義に裏打ちされている主張になっているということは、これはやはり日本の少なくとも経済システムだけは市場原理主義を是とするという考え方が、経済人の間の主流になっているということを表しているでしょう。
僕はそういう認識を持っていたのですが、藤原先生とはまったく議論が通じないという気がしますね。
しかし、藤原先生の本は230万部も売れているという事実があります。どう考えたらいいんだろうなぁ。